"Silent Blue" 「サイレント ブルー」
会期 Date:
「サイレント・ブルー」2016.3.19[Sat.]-4.24[Sat.]
ハルーン・ファロッキ スクリーニング 2016.3.27[Sat.]-4.30[Sat.]
※statements における展示は、4月27日よりハルーン・ファロッキのスクリーニングに切り替わります。お気をつけてご来場ください。
Artist:
青木陵子 Ryoko Aoki
青崎伸孝 Nobutaka Aozaki
万代洋輔 Yosuke Bandai
シャルベル=ジョセフ・H.ブトロス Charbel-Joseph H. Boutros
磯谷博史 Hirofumi Isoya
ウィル・ローガン Will Rogan
山根一晃 Kazuaki Yamane
Curation:
山根一晃 Kazuaki Yamane
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スクリーニング
4月27日(水) , 28日(木) , 29日(金) , 30日(土)
13:00-20:00 ハルーン・ファロッキ「消せない火 / Nicht löschbares Feuer (inextinguishable fire)」1969, 21分(日本語字幕あり)
会場 Venue: ステイトメンツ statements
102・2-27-14 Higashi, Shibuya-ku, Tokyo
地図 Map: https://goo.gl/maps/i9YppUpTxQF2
会期 Date: 2016.3.19[Sat.]-4.30[Sat.]
開場 Hours: 水-日曜 13:00-20:00
Wednesday-Sunday 13:00-20:00
statements-tokyo.com
Cooperation:
AOYAMA|MEGURO
Grey Noise
statements
MISAKO & ROSEN
Take Ninagawa
Taro Nasu
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「サイレント・ブルー」
漠然と思うことだ。
あの街の先にかすかに見える深緑の連なる尾根を、私たちは「山」と言う。
その深緑の尾根がもし「山」という名でなければ、あるいはそこに付与されている意味も概念も違うものになっていたのかもしれない。そしてこんなことを想像してみる。「山」という名が与えられる遥か前、私たちの先祖はあの深緑の連なる尾根を、一体どんな風に見ていたのだろうかと。きっと、「山」として見るそれとは全く違うものであったにちがいない。
鉛筆を指差しながら、「これは鉛筆だ」「これは丸い」「これは木だ」「これは1だ」 「これは固い」と言ってみるとしよう。これらは全て鉛筆というものに与えられた意味であり、形容だ。つまり、鉛筆という対象との間に築かれた対応関係を示すものである。言うに及ばず、一つの事柄には様々な側面がある。そして同じ数だけの解釈がそこに存在する。鉛筆に与えられた、これら様々な意味や形容、そのどの側面に焦点を当てるかによって、そこから始まるであろう言説や物語は全く違う道を歩むことになる。そして、その歩み方によって、鉛筆そのもののあり方さえも変化させてしまう。言語にはそれだけの力があり、支配力がある。そして、言語はこの世界のありとあらゆるものの模像として存在している。あるいはこの言語による模像によって世界は世界として存在しているのかもしれない。対象の言語的模像として。言わば、私たちはこの言語という牢獄の中で物を捉え、思考しているにすぎないのだ。
さて、どうしたものか。この牢獄の中で一生を送るのもそんなに悪いことじゃない。三食昼寝付き。捨てたもんじゃない。
けれど、遥か昔、山として語られる以前の、深緑の緑あふれる尾根の姿を見てみるのもきっと乙だろうと思う。
山根一晃
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"Silent Blue"
We say the dim deep-green range of ridges over the city “Mountain”.
I vaguely wonder if that the deep-green range of ridges is not named mountain, both the meaning given and the concept might become the different thing. I try to imagine. Long time ago when the name of the mountain is given, how would our ancestor see the deep-green range of ridges? It must have been totally different as the mountain we see.
We try to say pointing at a pencil, this is a pencil, this is a cylinder, this is a wood, this is one, this is hard pencil. These words are given meanings and adjectives for pencil. For instance, it indicates correspondence relation between objects called pencil. Needless to say, the thing has various aspects as many as interpretation.
A discourse and a story should go a completely different way depending on whether to focus on which side that given meanings or adjective for pencil. Even the way of pencil itself would also be changed depending on its steps. The language has the power and the dominant power. The language exists as reproduction of everything in the world. We can also say that the world exists as the world by reproduction of language.
Kazuaki Yamane
statements [2-27-14 Higashi, Shibuya-ku, Tokyo]